東京高等裁判所 昭和52年(う)1719号 判決 1978年3月20日
被告人 菅沼政五郎
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年に処する。
原審における未決勾留日数中六〇日を右の刑に算入する。
押収してある契約書一通(昭和五二年押第六一九号の二)は被害者吉川健作に還付する。
原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人山田昇作成名義で提出された控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官小野慶造の提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
一、控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について
所論は要するに、被告人の本件一連の所為は、吉川健作が、被告人の内妻でクラブ「恋」を経営させていた金山スミエと懇ろな間柄になつたことを知つた被告人が、吉川と交渉して同人から金山との関係を清算するとの約束を得ていたのに、更に吉川らが秘かに温泉に一泊旅行する等したので、同人の真意を確めようとして知人の高木を同道して吉川方に赴いたが、同人が判然とした態度を示さないため、同人をその妻や母とともに被告人方に連れて行つて金山と話し合つたり、再度吉川方に赴いたりすることになり、結局吉川の妻が償いをするというので家庭を破壊された償いとして五〇〇万円の支払いを受けることを約し、本件契約書を受取つたものであるから、正当な権利行使であるのに、これを認めず有罪を認定したのは重大な事実の誤認である、というのである。
そこで、本件記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討すると、原判決挙示の各証拠によれば、被告人は昭和四四年秋頃から、妻と離婚して入籍する約束で金山スミエ(当三九年)と同棲し、同女に新潟県長岡市内でクラブ「恋」を経営させていたが、本籍地で被告人の両親や二人の女児と暮す妻と離婚できる筈もなく、また他にも女性関係を生じ、昭和五一年春頃から右金山との関係も冷たくなつて同女から遠ざかるようになつていたこと、金山はその頃から「恋」の客である吉川健作(当四三年)と親しくなり、情交関係をも持つようになり、被告人はこれを知つて、同年一〇月上旬頃、金山との同棲先であつた同市内住吉一丁目一〇番一七号の被告人方に吉川を呼び、将来金山との関係をどうするかと質したのに、吉川は二、三日中に返事すると言つたまゝ放置し、同月二四日には秘かに金山と温泉に一泊旅行に出掛け、このことを被告人は翌二五日夕刻知つたこと、被告人は同日午後九時頃賭場開張を手伝つてもらつたことがある等でつき合いのある原審相被告人高木清を集金に行くので手伝つてくれと誘い、被告人の運転する乗用車で吉川方に赴き、間もなく帰宅した吉川に対し、その妻雪枝(当三九年)、母ミサオ(当六一年)の面前で「お前、おれの女房に手を出して、この始末をどうつけてくれるんだ」等と申し向け、黙りがちな吉川に「はつきりせい」と怒鳴り、ようやく同人が金山と別れると言うと午後一一時頃吉川夫婦及び母を乗用車に乗せ、途中クラブ「恋」に立寄つて金山をも同乗させて前記被告人方に連行し、吉川に対し金山に直接別れることを言うよう求め、再び吉川が躊躇すると、「この野郎、この始末をどうつけるんだ、はつきりせい」と怒号し、和服を脱いで肩や背中に施した刺青を示し、煙管で吉川の顎をしやくり上げたり、頸部や頭部を小突いたり、左耳付近を殴りつける等の暴行を加え、その間繰返し「始末をつけろ」「はつきりせい」等と申し向けたが、金山が、五年も籍を入れてくれない等と被告人を責めて吉川をかばつたり、同人と一緒になる等とわめき、吉川は黙つたまゝであつたため、被告人は包丁を持ち出して吉川の前に投げつけ、「はつきりせい」と怒鳴り脅迫したものの、ミサオの取りなしで吉川夫婦は先に帰宅したこと、その後間もなくして被告人はミサオ及び高木を乗用車に乗せて翌二六日午前二時頃再び吉川方に赴き、午前五時頃までの間吉川に対し「早くはつきりさせないと、お前の女房を連れてつて、お前が俺の女房にしたようなことをしてやる」「この辺に居られないようにしてやる」などと繰返し、高木が傍から「社長は忙しい体だから出すものを早く出して勘弁してもらえ」などと申し向けたこと、その後一たん帰宅した後、同日午後二時過頃被告人は金山、高木を伴つて更に吉川方に赴き、吉川に対し、その妻や母の面前で、「人間裸になればなんでもできる、早くはつきりせい」などと怒号し、結局「この件は五〇〇万円でどうだ」などと申し向け、高木が「早く出すものを出して勘弁してもらえ」などと口を添えたこと、吉川は前夜来妻や母ともども脅かされ続けたことから、要求どおりの金員を提供しなければ、いつまでも押しかけられ、家族の身体に危害を加えられるかも知れないと困惑畏怖し、三名で相談の末被告人の要求に応ずることゝし、被告人及び金山に対し、同年一二月三一日までに金五〇〇万円を慰藉料名義で支払う旨の契約書を記載し、妻及び母を保証人とする趣旨で三名で署名押印して被告人に交付して右支払を約束したこと、等の事実をそれぞれ認めることができ、以上の諸事実に、吉川健作、高木清の各検察官に対する供述調書中、右吉川も高木も被告人が吉川方で「この始末をどうつけてくれる」と言い出した時、直ちに金をおどし取りに来たと判つた旨の各供述記載を総合すると、被告人は自らの女性関係で冷たくなつた情婦の一人である金山が吉川と懇ろとなつているのに目をつけ、慰藉料等の名目で吉川から金員を喝取することを当初から意図し、高木と共謀のうえこれを実行したことは明らかであり、右認定に反し、所論の趣旨に添う被告人の捜査以来の供述は、右各供述に照らしても採用できず、被告人の本件所為における右のような動機、目的、またその行為が前示のように吉川の妻や母をも巻き込み、深夜から翌朝、その午後と極めて長時間にわたり執拗に続けられた脅迫と暴行を手段とするものであり、要求した金額も過大なものであること等の事情に照らすと、被告人の本件一連の所為が被告人と同棲した女との関係を破壊されたことに対する抗議と損害の補償を求めてなされた正当な権利行使であるとは到底認められない。論旨は理由がない。
二、ところで、右所論に対する検討に際し、職権によつて更に調査すると、前示証拠によれば、前記のとおり、被告人は吉川に同年一二月三一日までに金五〇〇万円を支払う旨の契約書を作成、交付させてその支払を約束させたことが明らかであり、原判決はこの事実を認定はしたものゝ、起訴状に掲げられた訴因は恐喝既遂に構成され、罰条は刑法二四九条一項とされていたのに対し、「財物(金員)を交付させる目的で人を恐喝したばあい、金員の交付を約束させた段階では、その約束(意思表示)がそれ自体で独立の財産的価値のある権利を犯人に与えるものである場合(本件においては契約書は小切手などと違つてそれ自体財産的価値はない)をのぞき恐喝利得罪は成立せず、むしろ財物喝取罪の未遂罪と解するのが相当である」との趣旨で刑法六〇条、二五〇条、二四九条を適用している。しかし金員を喝取することを目的とした場合でも金員を交付する旨の約束が、実行されるかどうか不確かな、単に口頭でなされたような場合はともかく、それが契約書と題し、署名押印のある書面にまで作成されているときは、たとえ、その契約は法的には無効であるとしても、その書面は当該当事者にとつては、金員の交付の実行があるまで利用される可能性のある、重要な財産的価値のある物と解せられ、このような書面を強制的に作成交付させた所為は財物喝取罪の既遂に当るというべきであり、本件にあつても前記契約書を喝取した罪の既遂を認め、刑法二四九条一項を適用するのが相当であるから、原判決には法令の適用を誤つた違法があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。
よつてその余の控訴趣意(量刑不当)についての判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所において直ちに次のとおり判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、以前同棲したことがあり、またクラブ「恋」を経営させていた金山スミエ(当三九年)が客の吉川健作(当四二年)と情交関係をもつたことを知り、吉川から慰藉料名下に金員を喝取しようと企て、旧知の高木清とともに、昭和五一年一〇月二五日午後九時過頃、新潟県刈羽郡刈羽村井岡一、二一七番地の右吉川方に赴き、同人に対し、その妻雪枝(当三九年)、母ミサオ(当六一年)の面前で、「お前、おれの女房に手を出して、この始末をどうつけてくれるんだ」、「はっきりせい」などと大声で申し向け、被告人のこのような言動から、その企図を察知した高木と共謀のうえ、同日午後一一時頃、同所から吉川夫婦、母ミサオの三名を被告人の運転する乗用自動車で長岡市住吉一丁目一〇番一七号の被告人方に連行し、階下四畳半の居間で被告人において、吉川に対し、「金山と別れるかどうかはつきりせい」、「この野郎、この始末をどうつけるんだ」等と怒号し、和服を脱いで肩や背中の刺青を示し、煙管で吉川の顎をしやくり上げ、その頸部や頭部を小突き、左耳付近を殴り付ける等の暴行を加え、その間繰返し「始末をつけろ」、「はつきりせい」等と申し向け、更に菜切包丁を吉川の前に投げ出す等して脅迫し、翌二六日午前二時頃から同五時頃までの間、再び前記吉川方に赴き、同人の妻や母の前で、「はつきりしないなら、お前の女房を連れて行つて、お前がおれの女房にしたようなことをしてやる」、「この辺に居られないようにしてやる」などと申し向け、高木において「社長は忙しい体だから出すものを早く出して勘弁してもらえ」等と申し向けて暗に金員を要求し、更に同日午後二時過頃、右高木、金山とともに吉川方に赴き、同人に対し、その妻や母の面前で、被告人において「人間裸になればなんでもできる、早くはつきりせい」、「この件は五〇〇万円でどうだ」などと申し向け、高木が傍から「早く出すものは出して勘弁してもらえ」などと申し向けて金員を要求し、この要求に応じなければ、いつまでも同人方に押しかけ、同人や家族の身体に危害を加えかねない態度を示して同人を困惑畏怖させ、よつてその場で同人をして被告人及び金山に対し、同年一二月三一日までに金五〇〇万円を慰藉料の名目で支払う旨を記載して署名押印した契約書一通(昭和五二年押第六一九号の二)を交付させてこれを喝取したものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法六〇条、二四九条一項に該当するところ、本件は、前示のように、被告人が自らの女性関係のために冷たくなつた情婦が、その経営するクラブの客と懇ろになつたのに乗じて金員をゆすり取ろうとした陰険な犯行であり、その態様も被害者の妻や母を巻き込んだ、しかも執拗なものであり、要求し、支払を約束させた金額も多額で、被害者は家族で相談して土地家屋を手放すことを具体的に検討した程の深刻な打撃を受けたのであつて、これに加え、被告人が昭和五一年六月三日賭博開張図利、同幇助、賭博の罪により懲役一〇月及び罰金五万円に処せられ、懲役刑について三年間執行猶予、保護観察付きの判決を受け、本件は右猶予期間中の犯行であることを併せ考えると、被告人の本件についての刑責は軽視を許されないものがあるが、幸に現実の金員の授受まで至らず、被害者も現在では被告人を宥恕している等の事情も考慮し、所定刑期範囲内で被告人を懲役一年に処し、同法二一条に従い、原審における未決勾留日数中六〇日を右の刑に算入し、押収してある契約書一通(昭和五二年押六一九号の二)は、本件恐喝罪の賍物であつて、被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑訴法三四七条一項に則り、これを被害者吉川健作に還付し、原審における訴訟費用につき、同法一八一条一項本文を適用し、これを全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 小松正富 千葉和郎 鈴木勝利)